知り合いは多い。でも孤独になる——タイ長期生活の不思議

友達の数では埋まらない、海外暮らしの「居場所」の話

タイに長く住んでいると言うと、

「友達もたくさんいるでしょう」

と言われることがある。

まあ、確かに知り合いは多い。

タイ人もいれば日本人もいる。仕事をしていた頃の知人、取引先、昔よく飲んだ人、ゴルフ仲間、近所の人。

電話帳だけ見れば、孤独とは無縁に見える。

ところが面白いもので、知り合いの数と孤独は、あまり関係がない。

むしろタイに長く住んでいる人ほど、ある時ふと孤独になることがある。

海外生活には、日本とは少し違う「人間関係の賞味期限」があるからだ。

長く住むほど、人は消えていく

海外では人の入れ替わりが激しい。

駐在員なら数年で日本へ帰る。

現地採用でも、転職したり帰国したり、別の国へ移ったりする。

商売をしていた人が店を閉めることもあるし、毎週会っていたゴルフ仲間が、ある日突然日本へ帰ることもある。

タイではこれが珍しくない。

「また今度」

と言って別れた人と、その「今度」が二度と来なかったことも何度もある。

日本なら、同じ町に住み、同じ会社に勤め、同じ地域社会の中で何十年も顔を合わせるという関係がある。

タイで暮らす外国人の世界は、もっと流動的だ。

人が来て、人が去る。

そして残った側は、少しずつ人間関係を作り直していく。

若いうちはそれでもいい。

新しい人に会えばいいし、新しい店へ行けばいい。

ところが年齢を重ねると、これがだんだん面倒になる。

また最初から自己紹介して、

「タイには何年ですか?」

「どうしてタイに来たんですか?」

なんて話をする気力も少しずつ減ってくる。

そのうち、

知り合いはたくさんいるのに、今日電話できる相手がいない。

そんな妙な状態が起きる。

「友達を作ればいい」は、少し違う

孤独の話になると、よく言われる。

趣味の会に入りましょう。日本人会に参加しましょう。ゴルフ仲間を作りましょう。

SNSで交流しましょう。間違ってはいない。

ただ、長く海外で暮らしてきた感覚では、それだけでは少し足りない。

なぜなら、孤独というのは単純に「一緒に食事する相手がいない」という話ではないからだ。

毎晩飲み歩いている人でも孤独な人はいる。

逆に、一週間ほとんど誰とも会わなくても平気な人もいる。

つまり、

一人でいることと、孤独であることは同じではない。

ここを混同すると、「もっと友達を作らなければ」となってしまう。

すると今度は、人間関係を維持すること自体が仕事になる。

老後になってまで人脈営業をするのも、どうなんだという話である。

大事なのは「居場所を一つにしない」こと

自分が意識しているのは、人間関係を一つの場所に集中させないことだ。

これは会社を経営していた頃より、仕事を離れてから強く感じるようになった。

会社員でも経営者でも、仕事をしている間は会社が大きな居場所になる。

朝起きれば行く場所がある。

人に会う。電話が鳴る。相談される。

面倒なことも多いが、自分が社会の中にいる感覚は嫌でも維持される。

ところが仕事を辞めると、それが突然なくなる。

特に海外では、日本のように昔の同級生が近所に住んでいるわけでもない。

会社という居場所一本で生きてきた人ほど、退職した瞬間に世界が急に狭くなる。

だから、

家族だけ。日本人仲間だけ。仕事仲間だけ。ゴルフ仲間だけ。

そのどれか一つに全部を預けないようにしている。

小さな居場所がいくつかあればいい。

タイ人との付き合いもある。

日本人との付き合いもある。

家族との時間もある。

一人で過ごす時間もある。

そして今なら、文章を書く場所もある。

どこか一つがなくなっても、生活全部が空っぽにならない。

このくらいがちょうどいい。

タイ人社会に無理して溶け込む必要もない

タイに住んでいると、

「せっかくタイにいるのだから、もっとタイ人社会に入ったほうがいい」

という話も出てくる。

これも半分は正しい。

タイ語が少し話せれば世界は広がるし、近所の人や店の人と会話できるだけでも生活の温度はかなり変わる。

ただし、タイ人になろうとする必要はない。

タイ人の家族関係や人付き合いは、日本人が想像する以上に濃い部分がある。

親戚付き合い。先輩後輩。義理。面倒を見る、面倒を見てもらう。

そこへ外国人が完全に入ろうとすると、意外と疲れる。

だから自分の場合は、

深く入りすぎず、遠くにも行きすぎない。

この距離感がいい。

近所で顔を合わせたら話す。行きつけの店で冗談を言う。

困ったときには少し助けてもらい、こちらもできる範囲で返す。

親友と呼ぶほどではない。でも知らない人でもない。

こういう薄い関係が、海外生活では案外大事だったりする。

日本では「知り合い程度」と軽く見られる関係が、タイでは生活を支える小さな接点になる。

孤独にならないために、一人でいられるようにする

少し矛盾して聞こえるが、孤独にならないためには、一人でいることに慣れておく必要もあると思っている。

誰かと食べないと寂しい。予定のない休日が怖い。LINEが来ないと不安になる。

これでは海外暮らしはしんどい。人は必ず離れていく。帰国もする。病気にもなる。

付き合いが変わることもある。

だから最初から、

「誰かがいないと成立しない生活」

にはしない。

一人で飯を食う。一人で買い物へ行く。

一人でコーヒーを飲む。一人で文章を書く。

別に寂しくも何ともない。むしろ年齢を重ねると、一人の時間はかなり贅沢である。

若い頃は予定表が埋まっていると安心したが、今は空白があると安心する。

人間というのは勝手なものだ。

文章を書くことも、ひとつの居場所になった

最近は文章を書くことも、自分にとってかなり大きな意味を持っている。

文章を書く作業そのものは一人だ。

パソコンに向かっているだけなので、見た目としてはかなり孤独である。

ところが書いたものを公開すると、人から反応が返ってくる。

「自分もそう思う」

という人もいれば、

「私は違うと思う」

という人もいる。

それでいい。

誰かと意見が同じだからつながっているわけではない。

社会と接点があるという感覚が残ることのほうが大きい。

仕事を辞めれば名刺はなくなる。

肩書もなくなる。会社からの電話も来なくなる。

それでも自分の考えを外へ出せば、誰かが読む。

これはリタイア後の生活では思った以上に大きい。

書くことが趣味というより、自分と社会をつないでいる細い線なのかもしれない。

孤独にならないとは、人に囲まれることではない

タイで長く暮らしてきて思う。

孤独にならないために必要なのは、たくさん友達を作ることではない。

人間関係を一か所に集めないこと。

そして一人でも機嫌よく過ごせること。

この二つのほうが大事だと思う。

家族がいる。友達がいる。近所に知っている人がいる。

文章を書く場所がある。一人でぼんやりできる時間もある。

全部が少しずつあればいい。

若い頃は「広い人脈」が財産だと思っていた。

今はそうでもない。

何人知っているかより、自分の生活の中に何か所の居場所が残っているか。

海外で歳を重ねるほど、こちらのほうが大事になる。

知り合いは多い。

でも孤独になることはある。

逆に、付き合う人が少なくても孤独ではない人もいる。

タイ生活の長さではなく、最後は自分の暮らし方の問題なのだと思う。

タイで孤独にならないために、何をしているだろう。

人に会うことでも、趣味でも、仕事でも、犬の散歩でもいい。

案外、そういう小さな日常の中に答えがあるのかもしれない。


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